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「中国」という言葉は、世界の中心部を意味する。中国最古の詩集『詩経』に「この中国を恵(いつく)しみ、もって四方をやすんぜよ」とあり、その註に「中国とは京師(都)なり」と述べ、国王が直接統治している中心部を意味し、「四方」とは封建諸侯の治める国々だとしている。
「中国」または「中華」は、いずれも世界の中心に位置するというきわめて強い優越性を誇示する言葉である。しかし、このいわゆる中華思想は、中国文明が他の文明から遠く離れ、周辺諸民族に対して文化的優越意識を持っていたため生じたとされる。だが、「中国」「中華」という呼称はあるが、歴代の王朝は「漢」「唐」「明」と名乗って、「中華」「中国」を国名にしたのは中華民国と中華人民共和国にすぎない。
なお、わが国では古くは中国を「から」「もろこし」など呼び、戦前はもっぱら「支那」と呼んでいた。「支那」の由来には諸説あるが、『大漢和辞典』(大修館)には「その起因は、秦の始皇帝が海内を統一し、余威が国境に及んだので、付近の民族これを秦と呼び、後、転訛して支那となったというのが通説、而しうして中国人自らこれを知ったのは仏教徒の紹介による」とある。「支那」はあくまで外国人が用いた呼称であり、中国の辞書には「支那」という言葉は存在しない。1911年の辛亥革命で中華民国が誕生するまで、わが国では中国を「清国」と呼んでいたが、その後は「支那」が常用されるようになった。しかし、中華民国政府は日本に対して「支那」という呼称を用いないように要請し、1930年10月29日日本政府は閣議で了解したが、日中戦争の勃発によりこの了解が無視されることになった。要するに中国人にとって「支那」という呼称は日本人による歴史的侮蔑を想起させる言葉であることを、私たちは銘記しておく必要がある。
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